所蔵作品
Tの肖像
岸田劉生KISHIDA, Ryusei

- 部門
- 絵画
- 作家名
- 岸田劉生KISHIDA, Ryusei
- 生没年
- 1891-1929年
- 作品名
- Tの肖像
- 制作年
- 1914年
- 大きさ
- 53.2×41cm
- 技法・素材
- 油彩・カンヴァス
岸田の「首狩り」とか「千人切り」と言われた頃(1913-15年)の作品の一つ。この時期の劉生は、夥しい数の自画像とともに、彼を訪ねてくる友人達を次々にモデルにしては描いている。1914年といえば、劉生23歳。後期印象派の複製画を見て感動のあまり涙を浮かべ、『白樺』同人と意気投合する中で迎えた「第2の誕生」(1912年)の2年後。「命をかけて」個展を開き、前年結婚した蓁(しげる)との間に長女麗子が生まれた年でもある。劉生の才能が開花を告げ生命力の横溢を実感するそのただなかで描かれたはずのこの絵は、しかしなぜか暗く、重たい。前年に描かれた、たとえば当館蔵のみずみずしい「自画像」と比較してみると、いっそう対照的である。
1914年という年は、劉生自身の大きな転換期でもあった。北方ルネサンス風の写実に傾倒してゆく「クラシックの感化」時代の初年に描かれたこの作品を、彼自身その影響があまりに露骨すぎるので嫌っているようだ。しかしこの年以後、劉生は自己の本質的な傾向性としての写実に、覚醒し、ますますその確信を深めてゆく。それは造形的選択というより、むしろ精神的選択に近いものであったろう。なぜなら、劉生における写実とは、自己の内面的深化を本義とする白樺的求道精神と同根のものであり、彼の芸術観は、白樺派の理想主義的な理念と分かちがたく結び付いていたからだ。
だが、自らの制作を「祈り」と呼び、「告白」と述べながら、内部へと執拗に向かっていた意志が、晩年なにゆえに挫折したのであろうか。これはもはや劉生個人を越えた、近代日本の背負う未解決の問題でもある。